Momoiro-notebook
映画を撮る時は、ふつうなら最大で5~7週間だ。1年半、撮り続ける野心はあったが、同じ意識で居続けることはできない。すぐ先に終わりが見えないから余計だ。その間に話すこと、長い期間を共に生きることは、5週間の撮影とは大きく違う。5週間あれば、人は映画以外のこともたくさん話す。どんな撮影でも、例に洩れず、女、車、金のことを話し(笑)、早く終わることを願う。でも同じ映画で1年半を一緒に過ごすと、ずっとそこにいるわけで、生活は一貫している。他にも色んなことが起きる。生まれる生命もあれば、死ぬ者もいて、季節も変わる。すると映画もずっと自然になる。映画のことだけ考えないようになる。それとも、映画も人生も同じくらいに考えるようになる。それはいいことだ。おかげで映画の重要度を落としてくれる。その方がバランスはずっと正しい。生活も大事で、映画は人生で一番大切なことになってはいけないんだ。あるひとつの要素に過ぎないのだから。ただの仕事に過ぎない。オフィスで働く人、食事を作る人、靴を作る人と何も変わらない。彼らはその仕事を毎日やる。9時から7時まで。それと同じであるべきなんだ。写真もそうだろ。映画を作っている、アートを生み出しているという思い上がり、特別な時間や要素、特別な人間がやるとか、そうした考え方には賛成できない。死ぬまでやろうと思っても、自分が好きなこと、自分が選んだ道で、それを日々作っていくことなんだ。それはとてもシンプルで、同時に、とても大変で、たまに、すごく退屈な時もある(笑)。映画を撮るのも、いつも素晴らしいわけじゃない。常に素晴らしい瞬間があり、常に美しい人と会えると思うのは大間違いだ。全然そんなことはないんだから(笑)。

ジオ期(20世紀末~21世紀初頭)

それまでパソ通以来の筋金入りの先人達による自鯖&CGI掲示板とかでの交流がメインだった頃から、ドリキャス&ジオシティーズとかケータイ&魔法のiらんどとかで掲示板付きホームページを作れるようになった頃。クローズドコミュニティにはパスワード付き掲示板を使用。パスワードは掲示板管理人が手作業で作ってメールでユーザ

に送るとかそういう時代。


ティー期(~2002頃)

teacupとtdiaryの頃。

とにかくなんかあったらteacup掲示板が出来てた。イヴェ後の居酒屋でタカまって飲みながらケータイで掲示板作ったらマネージャが降臨してそのままオフィ化したりとか。teacupを日記(今で言うブログ)がわりにしてるアイドルちゃんもいた。

tdiaryは元々自力で設置してる人からはじまって、一時期ASP化してたころに総出でアカウント取られまくって日記(今で言うブログ)が書かれまくってた。

はてな期(2002頃~)

好きなアイドルちゃんの名前でアカウント取ってアンテナ作る芸風が流行る。その流れで、日記系ははてなダイアリーへ。tdiaryが新規アカウント募集停止したこともあり、UIが似てるはてなダイアリーが普及。「はてなの申し子」とか出現。アイドルちゃん自身がアカウント取ってファンのはてダにコメントしたりとかも。

コメント欄で実況とか。

とにかく、海外の「Weblog」とは全く違う文化やコミュニティが生まれる。

個人的な印象としてはこの頃がはてな全盛期。

ブログ期(~2004頃~)

MT上陸。ASP型もライブドアブログ等が続々と。アイドルちゃん達はヤプログとか。

はてなダイアリーもいつの間にか「ブログ」を名乗り出す。

ミクシー期(~2005頃~)

今まで上記のようにネット上で日記を書いてた人々が、WWWの喧騒に疲れてミクシーに「潜る」人が続出。いわゆる「表の日記」の更新が減り始める。

アメブロ期(2005頃~)

アイドルちゃんのブログがどんどんアメブロになって、更新チェックや馴れ合いにはヲタもアメブロのほうがよかろうということで新設や移転が進む。ミクシーのシステム変更によるマイミクの形骸化もこの傾向に拍車をかける。

はてな全盛期を知ってる身としては、なぜはてなが後続サービスに「負けた」かわからない。

ご質問の内容はこうでした。「『金銭でなく賞賛だけを対価にして作品を生む無名のクリエイターは、匿名だからこそ大量に生まれた面がある』という論点に興味があるので、もう一歩踏み込んでほしい」。以下お答えです。http://bit.ly/Qy75c

UGCの作り手の多くは既存コンテンツのカバーや模倣から始めます(正確には創作全般がそうですが)。発表の舞台はニコニコ動画やYouTube等。UGCの主要分野の一つはMADですが、著作権的には財産権も人格権も思い切り侵害しています。匿名でないと発表自体がそもそも困難といえます。

MADではありませんが、例えばアイドルマスター(「ニコマス」と呼ばれる方です)は既存ゲームのプレー画面(動画)を切り出し、別の楽曲(これも大半は既存曲)と合成するという膨大な作業を経て生み出されます。その作成経過から明らかなように、著作権的課題が多々あります。何とも残念なことに。

個人的に圧倒された「ニコマス」の例です(登録が必要です)。とんでもない出来です。この歌は日本人作品ですが、JASRACとニコニコ動画の契約で許諾されるのは詞とメロディの使用で、レコード音源そのものではない点に未だ問題が残ります。http://bit.ly/aFHel

初音ミク(ボーカロイド)もごく初期の段階は既存曲のカバーから始まりました。当時ニコニコ動画はJASRAC等と契約しておらず、これも違法行為でした。やはり匿名でないと支障があったわけです。とはいえ初音ミクの場合、今から考えるとびっくりするくらい早くオリジナル曲が登場していますが。

権利者の中には、角川HDのように、権利を持つアニメのMADを公認している団体もあります(正確にはMADを逐一チェックし、原作者等のOKも取った上で公認)が、こういう姿勢の権利者はごくわずかで、大半のMAD/二次創作は、「違法だけど権利者がお目こぼししてくれているだけ」の状態です。

こうした「違法状態」では、作り手が金銭的対価を求めるのは非常に危険です。非営利だからお目こぼしされるのであって、金銭的見返りを求めたら、間違いなく摘発の対象になるでしょう。にもかかわらず、彼らがこうした作品を作るのは、つまり金銭ではなく、賞賛こそが対価だからです。

初音ミクは早くにオリジナル曲中心に移りました。とはいえ、「パクリ」が自在に交じる奔放さは他のUGCと五十歩百歩で、やはり匿名でなければあの規模の参加者を維持することは難しかったでしょう。勤め人で会社にばれたらまずいとか、周囲に内緒でやっているといった人も相当いるようです。

数は重要です。参加者が増えることで、単なる盛り上がりを超えた、一種の質的変化が起こります。初音ミクでは音楽から絵、動画やプログラム作成等の技能を持つ作り手が続々と参加し、連鎖反応のような創作が発生しました。作品は多様化して質も急上昇し、それがさらに人を呼び寄せる循環を生みました。

そうした作り手たちの一種クラウド的集まりの中で、過去に会ったことのない人々が次々とコラボレートしていく様は壮観です。次の動画には5人が関わっていますが、この現象がなければ出会っていなかった人たちかもしれません(コメントオフ・全画面表示推奨)。http://bit.ly/RWsBW

「量的変化が質的変化を引き起こす」現象が起きるためにも敷居は低い方がいい。必然的に匿名容認になります(無論、少数ですが実名の参加者もいます)。私は日本のウェブで集合知を実現した最上の例の一つが初音ミク現象だと思っているので、梅田さんが全然関心なさそうだったのは残念でした。

匿名が必要な理由はもう一つあります。それは脅迫・粘着対策で、こちらの方がより深刻かつ切実です。人気のある作者の中には、一種のネットストーカーに悩まされている/悩まされた人が複数います(脅迫・粘着が理由で発表をやめた人もいます)。匿名が容認されることは自己防衛上必須といえます。

日本のウェブの重要な課題は、この「出る杭を打つ」現象だと考えています。日本的土壌そのものですが、それが日本のUGCの未来を殺すかもしれません。ウェブは才能ある人が世に出る強力なツールですが、それを潰す輩も同様に浮上させてしまう。その点でウェブは、むごいほどにフラットです。(終)
 自分の不安や自信のなさ、自分の傷から脱出する方法など、ほんとうに、ひとつぐらいしかないのだ。ちょっとでも自分が興味のあることをやり続ける、さっさとやる、どんどん極めるということ。それだけなのだ。

しりあがり寿, 祖父江慎『オヤジ国憲法でいこう! 』理論社,2005.8,P.33

(via snowlight) (via yuco) (via ginzuna)

(via tasteful) (via f4kinenbi)

(via suzukichiyo) (via dannnao) (via jinon)

(via sukoyaka)

我Reblogを極めんと欲す

(via yaruo) (via gkojax)

あとこれは教師とかに言われて小さい頃泣いていたものとして「屁理屈言うな」ってのがある。自分なりに一生懸命考えて喋ってることを屁理屈って言われてしまうともう喋ることはないし、小さい頃って喋ることがなくなると泣くから。

俺の言うことは屁理屈だってことはおそらく、「何らかの理由でお前の発言は考慮に値しない」ってことだと思うのだけど、どういう風に言ってもそうなっちゃったら、俺のことは考慮しないってことと等しく思える。

「こんなの勉強して何の意味になるんですか」

「屁理屈言うな」

えぇええええみたいな。普通に意味無いならやりたくないって思うじゃん。。ていうか意味ある?って聞いて答えられないってことは普通よりむしろマイナスにかんじられる。

「こんなの勉強して何の意味になるんですか」

「どうしてこれから勉強すること、つまりまだあなたがわかっていないことについて、その意味=一番大事な部分を理解させることができるの?例えばイチローにヒット打って何の意味になるんですか?って聞いて、イチローが何を答えたとしてもあなたとイチローの間には圧倒的な溝があるでしょ?それはそういう理屈ですよ」

これで良くないの?少なくとも俺が馬鹿なだけかな、俺はこれで納得できるなあ。

あるときを境に、松本は笑いを語りだした。あまりに大きくなりすぎたせいで、誰もがその禁忌を許してしまった。それは欽ちゃんにさえ許されなかったことなのに。松本は遅れてきた世代の芸人たちに大きすぎる影響を与えただけでなく、視聴者のあり方さえ変えてしまった。松本のように笑わせることはできなくても、松本のように芸人を評することならできる、あるいは、できるような気がする、できている気分になら浸れる、そんな視聴者を大量に生み出したのだと思う。その結果、ぼくたち視聴者は「ただゲラゲラ笑う」という行為に後ろめたさや劣等感を覚えるようになった。笑いが、笑うことに圧力をかけ始めた。そして笑いは大衆芸能からファッションになった。笑いに対するものの見方に、「オシャレ・わかってる」と「そうじゃない」が現出した。

ラーメンが松本人志 (via kotoripiyopiyo)

だからこそこれだけお笑いの裾野が広がり、芸人になりたいという若者が増えたんじゃないかと俺は思うけど。正の面と負の面を比較したら正の方が大きい気がする。

(via tsuda)

笑いがサブカルになった、みたいな。それはそれで救われた人もいるんだろうけど。

(via railroad23)

さて、

A:「2時から5時までは3時間。」 B:「2日から5日までは4日間。」

 この違いをどう説明するかということでした。AとBの違いは、次のCとDの違いと同じになります。

C:地面に線を引いた。2mの所から5mの所までは3m。

D:旗を並べて立てた。2本目の旗から5本目の旗までは4本。

AとCは、時間や長さという連続量をはかるものであり、BとDは、日数や本数という分離量をかぞえるもの、という説明が妥当だと思うのですが、「連続量」「分離量」という言い方は人口にそれほど膾炙していません。連続量のことを「量」と言い、分離量は「数」と言うことの方が多いかもしれません。

分離量とは、「単位量」にあたるものが自然に個物として分離していて、自然数として数値化できるもので、連続量とは、「単位量」を人為的に設定する必要があり、数値化するときに分数や小数が必要になるものですが、その区別は相対的なものです。例えば、みかんも、1個2個と数えるときは分離量ですが、房に分けて、「三分の一の蜜柑」とか言うこともできるわけで、連続量としても捉えられます。

ボケと文化

古くより、写真において、ボケによる表現をもっとも好むのは日本人であり、他の民族はそのようなテクニックをほとんど用いないといわれてきた。これは、伝統的な欧米芸術の多くが、風景そのものを写実的に、かつ隅々まで描写することが原則であった(空気遠近法という一種のボケ表現もあったが)のに対し、日本人は、たとえば、禅画における空白の効果や、狩野派などにおける「雲」による背景の省略など、西洋画とはまったく違った手法の絵画を描いてきた。ここには「ボケ」を表現として好む日本人の美意識と共通するものが感じられる。

英語で”Bokeh”という単語が用いられるようになったのは「遅くとも2000年から」と英語版(en:Bokeh)にあるので、きわめて新しい表現手法として受け止められていると考えられる。

ボケ (写真) - Wikipedia (via bardiche-side-b) (via vmconverter) (via yamato) (via handa) (via suzukichiyo) (via proto-jp) (via kamo3) (via idetch)

ユダヤ人のアニメファンの多さも確認してもらえただろうか。欧米に居住しているユダヤ人の間では早くからアニメ・漫画は普及していたのだけど、本国イスラエルでの普及はずっと遅れた。イスラエルでは近年急速にアニメ・漫画・ゲーム・フィギュア・コスプレ等が浸透し始めていてる。

とはいえイスラエルでのオタク生活には大問題がある。そう、兵役義務だ。イスラエルでは男女ともに兵役の義務があり拒否したら懲役刑となる。兵役を終えた人はオタク趣味を捨ててしまうことが多い(これは世界共通の現象)。

ただし女性の場合は裏方の非戦闘部署に配置されることが普通なので兵役を終えてもオタク趣味を維持するケースが多い。結局イスラエルのオタク社会の将来はユダヤ腐女子の肩にかかっている。ちなみに聖書ネタのやおい同人誌がやたらに多いのがイスラエルの特徴。

「イエス×ユダ」で痴情のもつれからユダが裏切るとか「ダビデ×ヨナタン」の超濃厚カップルとかぶっとんだ内容である。私も噂に聞いているだけなのでぜひ実物を見てみたい。見たいぞ!

初音ミクが歌うイスラエル国歌が海外で波紋 - Suzacu Late Show (via katoyuu) (via pdl2h) (via starchart) (via regicat

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「ちなみに聖書ネタのやおい同人誌がやたらに多いのがイスラエルの特徴。」こうなると聖☆おにいさんなんか目じゃないね。

へぇ…兵役でおたくを卒業しちゃうのか…自衛隊はおたくが多いんだけれどなぁ(笑

(via asobiya)

(via clione) (via saya)

イスラエルでは男女ともに兵役の義務があり拒否したら懲役刑となる。兵役を終えた人はオタク趣味を捨ててしまうことが多い(これは世界共通の現象)。

ただし女性の場合は裏方の非戦闘部署に配置されることが普通なので兵役を終えてもオタク趣味を維持するケースが多い。結局イスラエルのオタク社会の将来はユダヤ腐女子の肩にかかっている。ちなみに聖書ネタのやおい同人誌がやたらに多いのがイスラエルの特徴。

「イエス×ユダ」で痴情のもつれからユダが裏切るとか「ダビデ×ヨナタン」の超濃厚カップルとかぶっとんだ内容である。